「特異性」の共通認識化で「地域イメージ」(松戸ブランド)の向上へ

松縁会は、松戸市の「地域イメージ」(松戸ブランド)向上のため、江戸・東京、江戸川低地と下総台地の近接地という特徴を活かします

  • 「特異性」について 
  • 「幸田・小金」地区・地域の変化
  • 「幸田・小金」地区・地域のアンケート
  • 「地域イメージ」(松戸ブランド)向上へ

「特異性」について

「その1」で取り上げた「幸田・小金」地区・地域には特異性のある地域資源があります。

この地域は江戸川の低地に囲まれて近接する谷津田と下総台地の西端に位置します。自然の織り成す色彩の台地には、樹々を切り開いた人びとの暮らした活動の痕跡があり、歴史を築いてきた事実があります。そこには、この地域を通して各地とつながる結節地の働きがあり、人と物資の行き交う情景が浮かんできます。

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台地の幸田地区より低地へ

多大な人口をかかえる東京都の金町に近接し、江戸川を越えた松戸市街地の低地から続く台地が「幸田・小金」地域です。ここには、地下に刻んだ豊富な歴史の歩みとともに、今日の松戸市を次世代に引き継いでいく松戸をゆかりとする人たちの担う「まつどSDGs活動」の人材という地域資源もあります。

「幸田・小金」地区・地域は、有望な地域資源のあるところです。
次世代を担う人びとをはじめ多くの方々が「まつどSDGs活動」を推進していく際には、この「特異性」(歴史・地理、自然、東京近接地、世代をつなぐ人材等)を共通に認識化することによって松戸市の「地域イメージ」(松戸ブランド)を向上させ、普及させたいと、私たち松縁会は念願しています。

「幸田・小金」地区・地域の変化

近世の江戸時代以降では、「幸田・小金」地区・地域は、幕府の河川改修工事、街道整備等の施策によって宿場町の発展等の歴史を重ねて地域の変化が生じてきています。

近代の明治初期に日本の陸軍参謀本部陸地測量部の作成した地図として発行された「迅速測図」と近年(2019)の「国土地理院2万5千分1地形図」の対比図を見ると、「迅速測図」に「幸田村」の記名はありますが、明治初期にはこの地域に多くの人びとが住みついていたとは読み取れません。その後、地形図の変遷でこの地域の土地利用を見ると、徐々に地域の変化を読み取ることができます。

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明治迅速図と国土地理院地形図対比図
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国土地理院地形図1930.12.28発行
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国土地理院地形図1970.3.30発行
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国土地理院地形図2000.12.1発行

これらの地形図において地域の変化を読み取ることによって、今後の松戸市「地域イメージ」を形成する際の参考にしてほしいと考えています。
地形図の黒く塗られたところ(建物)がどこにどのように広がり、今日に近い2019年発行カラー版では、赤色各種建物は台地状のところにどのように分布しているかを読み取ってほしいことです。
 
この2019年版一面に分布する建物がまさにこの地区・地域の特徴を物語っているように解されます。これらに関して読者の方々にお伺いのための質問アンケートを以下にお願いします。

「幸田・小金」地区・地域のアンケート

ご協力ありがとうございました。

「地域イメージ」(松戸ブランド)向上へ

「幸田・小金」地区・地域は、どのような「地域イメージ」でしょうか。

1970年以降の国土地理院地形図では、台地状のところに建物の分布が明らかに増加する変化を読み取ることができます。この土地利用は住宅地の広がりです。

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とちのき通りの住宅地

その変化は、まさに戦後高度経済成長期と重なる時期です。松戸市は江戸川を挟んだ東京都と近接地域のため、首都東京都への通勤・通学をはじめとする人びとのベッドタウンとして発展してきました。東京都の首都機能は全国的規模で様々な働きをもっています。

そのため、政治・経済・文化・スポーツ等の分野で人や物資、情報・サービス等の移動・交流が近郊沿線都市に影響を及ぼす状況下で、松戸市は典型的な住宅地化の波が押し寄せてきていました。このような影響下の“にぎわい”は、近郊都市特有のものでした。

松戸市も一様に繁栄をもたらされました。ところが、その後の世界的な動きは、エネルギ―・コンピュータ等の与えた社会革命的な変化によって日本社会の交通・情報・通信・サービス等の様々な分野に急速な展開をもたらしています。

その変化に対応していくためには、台地と低地の入り組んだ自然と近郊都市の性格をもつ松戸市は、独自な「地域イメージ」をアピールすることの可能性を秘めていると言えるのではないでしょうか。

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JR北小金駅に近い本土寺参道の森

「地域イメージ」(松戸ブランド)の向上を目指していくことは、同様なケースとして明治以降に東京低地の西端に位置する武蔵野台地にある目白台の地域が「目白ブランド」を確立してきたことを参考に、その形成過程を理解して活動を推進していくのも重要なカギだと考えています。
急激なスピードで変化する首都圏近郊都市の一つとして松戸市の位置があります。東京の金町・市街地に隣接する「幸田・小金」地区・地域のもつ特異性に注目すべきと考えています。
「松戸ブランド」の普及促進を願って ―補説 ⑨― - 松縁会

近年、地球温暖化による異常気象が集中豪雨を多発させ、洪水・氾濫の被害を低地にもたらしています。台地に位置するこの地域は排水溝の整備・清掃等への配慮や風害以外には安全・安心の確保がなされていると思われます。

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幸田地区住宅地にある幸田配水場と谷津田

大消費地東京に近接することは、松戸市の諸産業の発展や諸行事の企画・実行の機会には、多くの人びとを誘引・動員することの利点もあり、魅力のある新商品の開発や新店舗の開店などが期待されます。

現在も、台地の森林を利用した家族・地域ぐるみや他地域の人びとを巻き込んで「里やま」に親しむ活動が行われています。楽しみながら森の整備や保全等の活動を行うことが盛んに展開されていますが、他の地域には少ない特異性があります。
 
以上のようなことをはじめとして、この「幸田・小金」地区・地域についての質問アンケートは、貴重な印象や意見等が「地域イメージづくり」には必要不可欠です。たくさんの松戸をゆかりとする人びとのアンケート回答が集積されることは、「地域イメージ」をクローズアップさせることにつながります。その方向に展望をもつことができるか、予断できませんが、多くの方々の回答を期待しています。
 
その「幸田・小金」地区・地域は、松戸市「地域イメージ」(松戸ブランド)向上のために欠くことのできない重要で有効な地域資源を有しています。

本土寺参道のにぎわいと緑のトンネル

改めてその資源活用が強調されてこそ、歴史・地理と恵まれた自然をもつ東京近郊都市の松戸市民や関わる人びとの認識や行動の仕方に関係します。特に世代をつなぎ、持続的な活動をすることによって「まつどSDGs活動」としての意義が見出されます。

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森とあじさいの本土寺

具体的な方策としては、松戸をゆかりとする人びとの出身地や各地方の「幸田」地区・地域との交流、秘められた日本の伝統文化を好むインバンド等との関係を深めることに発展の方向性があると考えています。

「地域イメージ(松戸ブランド)」向上をさせるために、まずは多くの人びとが「幸田・小金」地区・地域の特異性を共通の認識としてもつことによって広めていくことにあるのではないでしょうか。

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