「松戸ブランド」の普及促進を願って ―補説―

はじめに

―「松戸」ゆかりの人と先進性のある場所を将来につなげる-

「松戸・まつど」には、縁(ゆかり)のある人がずっと生き続けている。文字のない時代から、川に近いところの台地に住みつき、まさに先進地と位置づけられる(旧石器時代遺跡)。

「松戸」とは? “馬津郷”とも“まつさと” とも言われる、地名の由来がある。地名から歴史を知り、考える。歴史から地名の由来を明かにする。いずれにしても「松戸」には時の流れや空間・場所にそれらの意味を探ることができそうだ。「松戸」の場所に関わり合う多くの「松戸」ゆかりの人びとが持続可能な社会として人のつながりを将来に発展させていきたい。

かつて、「松戸」には江戸期の宿場町繁栄や高度経済成長期のにぎわいなどがあった。そこで、「松戸」の良さ、魅力、特徴などについて多くの方々に多種多様な考えや意見、印象などを綴り、投稿していただき、あるべき「松戸像」を求めていきたい。

① 「松戸」の風景と景観、情景、光景、景色、ランドスケープ、ランドマーク

私たちには目・耳・舌・鼻・皮膚を通して生じる五つの感覚がある。人の生きる場所の選定には、いろいろな能力や条件などを含めて五感のいずれの鋭さも必須だが、中でも見る力に頼ることが大きい。その視覚に関連する言葉は見出しにあるようにバラエティーに富む。人の審美眼は好みに応じて千差万別だが、生きる場所の選定は自ずと水・土地などの自然条件や食料の生産、資源の開発・運搬、人びとの住む消費地など社会のしくみにかかわる。
そのため、「松戸」という場所を見る人びとの目には、おそらく時の変化とともに、どのようなものか、きっと風景や景観などが広がってきている。

その変化について時々の「松戸」を人びとの目がつかむことになり、五感の鋭い方々は、見方として情景、光景、景色、ランドスケープ、ランドマークなどの「松戸」を見つけているにちがいない。

特に江戸川や坂川などの河川流域、下総台地の森林と谷津、人工環境と自然環境の調和された外部空間の景観(ランドスケープ)などは、いつの時代にも人びとの心や脳裏に響くものと思われる。例えば、江戸時代には江戸川を利用した水運による物資の輸送がある。また、東京都金町側から江戸川とその低地を見通した眺望の先に、旧中部小学校付近には、かつてニューオオタニ松戸の19 階ブルースカイラウンジ(回転レストラン)がランドマークとなっていた。その建物は今も存立しているが、付近は時代の変化とともに旧伊勢丹松戸店の撤退によりキテマツドなど変貌した周囲のビルやマンション景観となっている。この他の「松戸」の地にも、同様に川と低地、台地・森林の地形が醸し出す特色のある風景や景観が見られている。それぞれの方々の情景、光景、景色、ランドスケープ、ランドマークを見出し、"私の「松戸」"を説明・報告をしてほしいと願う。

② 「松戸」の風景にまつわる、人の記憶や心情

私たちの見る風景は、目の前に広がる眺めで、景色とも言い換えることができる。あるところの様子を人の気持ちや心の動きを交えると、情景とも重なる。例として田園や都会の様子、状況などについては人の視覚によってとらえられる。山川・植物などの自然景観(自然環境)と、耕地・交通路・市街地などの文化景観(人工環境)などに分けられる景観も、類似の言葉となっている。

「松戸」の風景や景観を一人ひとりの視覚がとらえる。その際の気持ちや心のあり方は、見方・とらえ方に影響する。「松戸」のいかなる場所や場面についても、同じところが一人ひとりの年齢や生まれた時代、家庭環境、職業、社会的立場など様々な条件によって必ずしも一致したとらえられ方になるとは限らない。一人の定点観察が、その生涯にわたって行われた際には、どのようなとらえ方としてあらわされているのか、写真・絵・映像・日記などの記録に残されるとしたら意味のある取り組みとして評価に値する。多くの人の取り組みや、すでに取り組んでいる人の投稿を期待したい。

さて、幼少期や小中学校高時代に過ごした場所や場面についての記憶や心情はどのようなものになっているのか。人それぞれに受け止めた印象は異なるだろうが、成人してからの顔合わせの機会やクラス会・同窓会などの場で、共通の体験について想い起こした話や、その当時の日記・絵・写真・映像記録などをまとめていった際にはどのような情況の場所として説明・語られるだろうか。あるいは、すでに取り組んできた事例などが収集、集積されて、とらえられてきているとしたらたいへん有意義な地域素材の価値を有する。中部小学校 100 周年記念時卒業生 6・2 組による取り組みの成果もあるので、参考になるのではないか。これを含めて、「松戸」の各地、各校において同様な取り組みがなされ、各地域の記録として写真・映像・文書など保存、活用されたならば貴重な地域や「松戸」の財産となり得る。さらに、私たちの会とのコラボレーション企画において松戸市市制施行 80周年を機に出版された「写真が語る松戸市の 80 年」(いき出版)の中では、様々な視点から「松戸」を撮影した貴重な写真がある。これらと連携した各地域・各校の取組みを期待し、より多くの投稿や報告を歓迎したい。

③ 「松戸」の心象風景と地域形成の関係性は?

私たちが「松戸」の風景や景観について心の中に描くイメージや感覚的な具体的な像は心象風景ともいわれる。
心象風景は、だれもがそれぞれに見たり聞いたりしたことを意識して描く印象的な像や景色とされるだけに個々によって異なる。「松戸」ゆかりの人の場合、歴史上のことも含めて、かつての出来事や体験を想起してある場所やその時の場面を心に描くことなどを指すことも可能と考えられる。私たちがそれらをイメージするときの季節、時間帯、場所などで構成される状況の変化がある。さらに、それらの場面などを認識するときの暮らしや個人的な経験にともなう心情のあり方などもある。

したがって、その人の心象風景そのものは、多種多様に変わることがある。つまり、これらを活用して自由に、改めてその人自身の異なる人生を想い描きながら、「松戸」の風景や景観のあり様を描くならば、これからの地域形成に及ぼす発展的な具体像を提起することもありうることになる。様々な事例を通して人の暮らし方の多様性を探り、地域発展に寄与することも可能性を秘めていると期待される。

一例をあげてみたい。江戸川沿いに納屋河岸といわれる伝統的な地名がある。江戸時代の早い時期から江戸川の水運を利用した河岸があったとされ、松戸河岸には明治時代にも納屋河岸の青木家と渡船場河岸の梨本家が通運会社を継続させてきた歴史が伝わる。今も青木船問屋の復元された塀がある。その場に立ってこの付近で鮮魚などの荷積みをする人びととロボットなどの動きを想像してみる。往時をしのぶ場合と、これから先の水陸両用車・空飛ぶクルマなどで江戸川空間を利用した場合などだ。鉄道やトラック輸送などの普及により衰えた江戸川水運も、交通機関などの変化によって新たな見方考え方に基づく「松戸」の再興される可能性も予見されるかもしれない。

それぞれの方々がもついろいろな心象風景の多くと地域の発展を考え合わせ、新たな地域形成の雰囲気づくりを醸成していきたい。多くの人びとの投稿を期待し、願う。

④ 「松戸」の特徴は先進性と場所性

「松戸」が他と異なる独自なことは、どのようなところなのか?

「松戸」は河川と低地、台地と谷津・森林の近接するところに広がる自然豊かな住宅都市として性格付けられる。
その上に、何より東京都心部から約 20km、電車で最短24 分の距離に位置することが、交通利便性の高さを有していることにある(「松戸市都市計画マスタープラン」。さらに、旧石器時代より人びとが活動した跡や有数の貝塚があり、先進的な暮らしの場でもあった。古代・中世より付近の台地・低地を結ぶ交通の要所、江戸期以降には宿場町・新田・牧などの整備開発、明治以降には徳川戸定邸の設置、陸軍工兵学校設立、21 世紀の森と広場など時代の特色を際立たせる歴史と文化もある。

関東平野における「松戸」の特徴は、歴史的には早くから豊かな土地に住みついた先進性を有し、地理的には江戸・東京に近い場所の位置や河川・台地のある地形に恵まれている場所性をあげる。このように特徴づけられる地域の発展を願うにあたって、その特徴に関連して商品・サービスの具体的提案や市街地再開発を含む地域開発などがなされる提案や紹介などを期待したい。その方向としては「松戸の名品」や「松戸ブランド」などの誕生を追い求める人びとの出現が待たれる。いや、既にその芽は生まれているかもしれない。

さらには、それらを醸成する地域の同窓会・町会・自治会・商工会・各種クラブなどの雰囲気や人びとの結びつき、支援体制を築き上げるなど条件の整備を図る必要がある。それらの過程で各地域、各組織のリーダーや支える人びとが心眼をもって協力して事に当たることを期待し、「松戸」の特徴を活用する真の地域素材をより多く編み出し広げていきたい。

⑤ 「松戸」の自然や場所的な位置を活かすことに必要なことは?

「松戸」の河川・低地・台地・谷津・森林の自然や都心からの距離・場所的な位置を活かしたい。

「松戸」の位置は、海と川に囲まれた房総半島にあって、江戸川を挟んで東京都に極めて近い。関東平野に広がる首都圏の人口密集地に含まれるが、「松戸」には、都会的な場や低地・森林のもつ農山村的な場も、身近なところにある。房総半島は低地と台地から成り立ち、大消費地東京に近接している。その土地利用と周囲の海産物は食料生産の宝庫でもある。

人びとの暮らしには交通の発達が利便性をもたらすが、その発達過程によって地域発展の状況に特徴的な変化が見られる。「松戸」では、江戸時代以降、宿場町の形成・発展につれて商いの立地条件と船舶・鉄道・トラック輸送の盛衰によって都市発展に影響を受けてきた。今日、交通の発達には科学技術の進歩に伴い著しい進展が見られている状況で、「松戸」という地域にはどのような交通手段との関わりがふさわしいのか目を向けてみる必要があるのではないか。特に、今は宇宙開発への輸送システムはもとより、リニアモーターカーと空飛ぶクルマが脚光を浴びている。私たちの暮らしには時間・スピードと運搬量の効率を大事にしているが、乗り物や輸送手段としての安全性や視野の広い快適性、環境配慮も必要とされる。

「松戸」のこれからの新たな交通機関としては、時代の変化、交通通信情報手段の変化に応じて、自然や場所的な位置を活かすことにあるため、リニアモーターカーの時間・スピードを重視する必要はない。空飛ぶクルマや、むしろ水陸両用車が「松戸」の特徴にふさわしく、これらの有効な活用方法をシステム開発することに注力することが求められる。

これから空飛ぶクルマや水陸両用車の自動運転が普及するようになると、安全性の確保や輸送の効率が必須の条件となる。海と川に囲まれた房総半島、江戸川に接した「松戸」にはそれにふさわしい好条件としての空域がある。つまり、首都圏にあって利根川、江戸川などの河川、東京湾に連なる各市・各地域は、連携・相談することによって発展の可能性を有していると想像される。これからは住宅上空域を経路とする場合もあることが予想されるが、リスク回避として安全装置の装備や必要経費となる保険制度の付帯措置などを伴う。このようなことを勘案する際に、海や川の空域を運行経路とするならば、安全性や経費の面において優位があると想定される。したがって、かつての鮮魚輸送の復活や低地・台地における近郊農業、都会的な場にある森林活用と水辺の観光・行楽にも利用されることも多くなることも考えられ、河川敷や堤防近くの未利用地などが今後の注目にされることになるのではないかと予想される。このようなことを構想するにあたっては、細部にわたる綿密な計画調査や取り組む組織、経費の検討など全体的な見通しを立て、実現性の有無を明らかにしていくことが求められると考えている。

⑥ 「松戸」の自然と歴史・文化に結びついた行楽・祭り

有史以前から関東平野には、周囲の山地に降り積もった雪や雨が流れ出し、利根川など多くの河川が江戸湾(東京湾)への流れとなっていた。「荒ぶる川」といわれる荒川をはじめとする河川が度重なる洪水・氾濫によって流路を変えていた。このよう状況は、近世初頭に関東へ配置換えされた徳川家康が家臣に命じて行われた治水事業によって変化をもたらされた。多くの瀬替えといわれる工事で川の流れを変えることをくり返し、治水を積み重ねた。その結果は、利根川を太平洋側の銚子方面に流れを誘導し、「利根川東遷事業」と呼ばれている。

それらの事業は、家康が江戸幕府を開いたことと相俟って「松戸」の発展にとって大きな転機となった。先に触れたように、宿場町と水戸街道、利根川・江戸川の水運と松戸河岸、新田開発、坂川開削などと関連し、江戸に近いという場所性を活かすことによって町屋の隆盛と地域形成をもたらした。また、江戸時代末期に 15 代将軍徳川慶喜の名代として弟昭武がヨーロッパ(パリ万博)に派遣され、その後明治時代に「戸定邸」に移り住みついていた。そして、暮らしにおいてヨーロッパ文化を取り入れ、食生活をはじめとする多くのことを体験し、特に当時にしては大変珍しい写真撮影をして記録に残してきたことは、歴然とした事実として「松戸」と徳川家の深い縁が結ばれている。

以上のような経緯からしても首肯されようが、「松戸」と徳川家の深い縁については、「戸定歴史館」の研究・史料収集などの実績によって明らかにされている。「松戸宿坂川河津桜まつり」や、同時に開催されている「矢切ねぎ祭り」、コスプレイベント「河津桜フェス」、戸定が丘歴史公園の梅の木、戸定さくら雛などの催しがあり、「松戸宿献灯まつり」を含めて松戸宿や坂川に関連する行事、イベントは実行されているものの、残念なことに、例えば「松戸徳川家まつり」や「松戸市民と徳川家との集い」などの、「松戸と徳川家の縁」、直接的な関連イベントや祭りが見当たらないように思われる。ただ、ホームページ上には松戸地域の歴史を見つめ、文化の創成とまちづくりに貢献することを目的とする「戸定企画」が徳川昭武氏の直系、松戸徳川家の三代目徳川文武氏によって主宰されている。それは新時代のまちづくりをプロデュースするプロフェッショナルチームで構成され、地域の文化、教育、産業、まちづくりをプロデュースするとされている。専門家の方々がメンバーとされているが、市民のみなさんとのコラボレーション企画として具体的な事業展開はどのようになされていのか読み取れない状況にあるように思われる。
徳川家関係の方が地域振興にかかわる素晴らしい目的に基づくだけに進捗状況も気になるし、早目の具体化を期待している。

戸定邸は小高い台地上にあり、千葉大学園芸学部と隣接している。紅葉の美しい秋季には、通用門の開放も行われている。この場所的な位置にあることを踏まえ、園芸学部のもつ植物・園芸の専門性を活かす方策や取り組みを編み出していくことは実現可能な視点にならないだろうか。特に、松戸駅東口側相模台の再開発事業に関連させ、戸定邸と相模台地区、坂川沿い、江戸川提までの道路沿いの植栽、園芸などを配置・工夫することも考えたい。

さらに、宿場町の河岸付近における人のにぎわいを再現したい。人と人の交流を通して「徳川家と松戸市民の集い」に位置づける水辺の「舟まつり」や「海産物フェア」「魚のつかみ取り」などのようなイベントを含めて、通年を見通しながら行事の位置づけを関係団体との連携・相談を交えて多種多様な企画がなされることを期待したいが、如何だろうか。

⑦ 「松戸」の自然と歴史・文化に結びついた食材・スポーツ

人間の生き続ける場所は、豊かな食料と住みやすい土地の確保がまず求められる。「松戸」には先進地としての歴史があり、以来、ずっと人が住み続けてきている。都心に近いところでありながら、水辺と田畑・森林の緑豊かな自然と触れ合うことができる都会的な環境にある。

「松戸」は、「矢切ねぎ」「二十世紀梨」で有名な近郊農業地としての利点があり、近年、この地で意外な「レモン栽培」も行われ、その消費に根強い人気もあるという。これらの食材と同様に、他食材の発掘と調理法の研究をしながら食品の開発・普及させることも期待したい。これによって、多くの人びとに食されるようになるならば、人口密集地への販路拡大とともに、「名産品」にふさわしいものとして評価も定着される。

江戸川にはスーパー堤防や河川敷、支流の付帯施設がある。堤防は、散歩道、サイクリングコース、マラソンコース、河川敷には公園、花畑づくり、野鳥観察、カヌー操作など多くの利用法があり、自然になじみ、親しむことができている。これまでにもたくさんの人びとが関わり、楽しんでいるが、さらに首都圏にある自然豊かな「松戸」をアピールできように持続的に発展性のあるスポーツ種目の選定・普及を図り、関係団体との連携・相談をしながら日常化、競技化、行事化などの推進も検討されていくことも必要と思われる。今日、多くの団体、個人、各種クラブなどによって競技会や練習、イベントなどが展開されているが、各校で盛んなマーチングバンドやチアリーディングをはじめとして、自転車競技・BMXパフォーマンス、スケボーなどを「松戸」の自然と歴史・文化に結びつけたイベントスポーツとして「松戸」を象徴するような事例にするという遠大な企画も検討したい。そのためには、すでに実施されている吹奏楽応援団における楽器の募集と市民の寄付という活動を活かすことだ。教育委員会と市民のみなさんとの協力などをはじめとする、関係種目の組織的な支援体制を築き、各種関係団体との相談・連携について数年間を見通して構築する必要があると思われるが、どのようなイベントが可能だろうか。

⑧ 「松戸」の河岸と結びついた食材やこれからの産業・交通・観光

納屋河岸は江戸時代に栄えた松戸河岸の一つで、今もその歴史を伝える、船問屋であった青木家には白壁に黒塗りの板塀がある。水運による銚子からの鮮魚を日本橋の魚河岸まで運ぶ際、松戸河岸は利根川沿いの布佐より手賀沼の南を通って松戸に至る「なま(鮮魚・生)街道」の中継地であった。また、近郷の穀物、野菜、魚、薪、炭などを江戸に輸送する物流拠点として大いに繁栄した。海と川で囲まれた房総半島には、江戸時代の中期以降、日本の伝統的な調味料として醤油・味噌・みりんがあり、今も有名なところに銚子・野田の醤油、流山のみりんが挙げられる。
松戸にもかつて同様の醸造所があったという歴史があり、この利根川・江戸川流域に根付いた伝統的な調味料は、日本食文化のブームと相俟って今や世界に広がっている事実に注目をしていきたい。

江戸時代における大消費地江戸の発展と結びついた「松戸」の納屋河岸のもつ実績とこれからの産業・交通・観光などを想像してみたい。先に触れたように、これからの展望として空飛ぶクルマや水陸両用車の自動運転などが現実化されてくる可能性はそれほど遠いことではないと思われる。そのような際に、近郊農業地や水産資源の輸送基地の役割を担う「松戸」の展望は大きく開かれているし、将来性も期待される。伝統的な調味料を活用した近郊野菜・水産物の加工・販売や店舗の展開などの協業体制を築き、江戸川流域の関連企業との連携を模索することも可能となる。さらに、近隣畜産品などを含めての食材を活かした調理法を開発し、調理講習会などのイベント開催や開発商品の伝達・普及を計っていくことも有用なことと考えられる。調理講習会などの体験型のイベントには、他に「戸定歴史館」の見学や「21 世紀の森と広場」の行事、「坂川河津桜まつり」などとの関連を探り、運営する側の人とのつながりを通して合わせて実施することなどによって観光客の広がりを期待できると思うがどうだろうか。

⑨ 「松戸」の良さ、魅力、特徴について「目白ブランド」を参考に「松戸ブランド」の提唱は?

「松戸」の良さ・魅力・特徴を探るのに参考となるテレビ番組があった。2023 年11 月18 日、NHK の番組『ブラタモリ 東京・目白〜目白ブランドの正体とは? 』と題していた。「目白ブランド」を参考に地域ブランドとしての「松戸ブランド」について提唱するのはどうか、を取り上げ、みなさんの見方や意見、考えを綴る投稿を期待している。

地域ブランドには、①「商品・サービスのブランド(地域特産ブランド)」と②「地域イメージ(エリア・アイデンティティ)」の主に2つのブランド要素があると言われている。番組の中では、ブランドの要因に当たることは、目白の地名・台地・大名屋敷・学習院・神田川などをあげている。様々な視点からこれらを解き明かし、「地域イメージ(エリア・アイデンティティ)」を解説していた。「目白ブランド」とされることは江戸の観光スポットが起源とも指摘されていることもあるが、様々な地域資源や大名屋敷から明治期の山県有朋邸宅を「椿山荘」として発展させた企業、神田川沿いの桜などの観光地などを調和させ、総合的に地域のイメージを向上させているところにブランド力があるとした。このような地域ブランドが知名度を高め、全国的一般的に通用することは、地域の発展にとって、やはりのぞましい。というのは、他地域の消費者や観光客がその地域を訪れることのきっかけとなり、経済的にはもちろんのこと、人的な交流や文化的にも多方面にわたる発展が見込めるからだ。

「松戸」の場合にも、同様な見方で挙げてみると、松戸の地名・台地・戸定邸・宿場町・陸軍兵学校・千葉大園芸学部・江戸川(坂川)が類似の要因としてあげられる。しかし、「松戸」のブランドについては、農産物の地域特産ブランドとしての「なし」「ネギ」のほかに今や「レモン」などが挙げられているが、「松戸」地域のイメージアップが全国的一般的に広まっているか、気になるところだ。その意味で、「松戸ブランド」につながるような「松戸の良さ、魅力、特徴」はどのようなことになるのか。従来のことや各種の提案・意見等を踏まえて、様々な視点から「松戸」の流通される商品やサービスなどを改めて見直しをしてみてはどうか。これらが、時代の流れに応じて地域の魅力や地域独自の付加価値を付け、一段上の商品やサービスを創り上げることが重要なポイントになると考える。その地域の「魅力や独自の付加価値」が明確にされ、多くの人びとに認められるように整備されれば「松戸ブランド」のイメージづくりになるのではないかと考える。

➉ 「松戸」の地域イメージ向上を図るために

松戸にゆかりの人びとが積極的に多くの前向きな意見、考えを寄せ合うことがとても重要な情報源と考える。多くの方々が、「松戸」関連の作品、商品やサービス、事柄、イベントなどについて「時代の流れに応じて地域の魅力や地域独自の付加価値を付けているか」を探ることに大きな意味がある。地域の魅力や付加価値は、具体的な事象に対して多くの人の感覚や志向などに同様な賛意が得られることによって認知され、地域のイメージづくりに影響を及ぼす。参考になりうるかどうかわからないが、次のようことをあげてみたい。

  • 良さや魅力については、作品、商品やサービス、事柄、イベントなどの具体的な場所や店の名前、建物・自然の画像、商品画像、活動イメージ映像、感想投稿、支援メッセージなどを通して、個別事象の状況をプラス志向の表現で明るくイメージアップする
  • 特徴については、例えば、松戸駅と相模台地区の緑豊かな空間域の近接さや、松戸駅と江戸川の恵まれた河川敷との近さなど、他地域と異なる地域独自性を活かして、仮称「松戸徳川家と市民連携」・「新たな交通機関推進都市」づくりなど、付加価値を高めるための明確で具体的な事例や作品などを提案し、強調するためにクローズアップする

このような視点の投稿や発信そのものは、「松戸像」のイメージアップを図ることに寄与すると思われる。そして、これらのようなことを広く普及させるために計画的に準備し、様々な広報手段を有効活用し、繰り返し訴えるようにすることによって世間一般に浸透を図ることを目指したい。

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