「松戸ブランド」の普及促進を願って ―補説 ⑥―
「松戸」の自然と歴史・文化に結びついた行楽・祭り
有史以前から関東平野には、周囲の山地に降り積もった雪や雨が流れ出し、利根川など多くの河川が江戸湾(東京湾)への流れとなっていた。「荒ぶる川」といわれる荒川をはじめとする河川が度重なる洪水・氾濫によって流路を変えていた。このよう状況は、近世初頭に関東へ配置換えされた徳川家康が家臣に命じて行われた治水事業によって変化をもたらされた。多くの瀬替えといわれる工事で川の流れを変えることをくり返し、治水を積み重ねた。その結果は、利根川を太平洋側の銚子方面に流れを誘導し、「利根川東遷事業」と呼ばれている。
それらの事業は、家康が江戸幕府を開いたことと相俟って「松戸」の発展にとって大きな転機となった。先に触れたように、宿場町と水戸街道、利根川・江戸川の水運と松戸河岸、新田開発、坂川開削などと関連し、江戸に近いという場所性を活かすことによって町屋の隆盛と地域形成をもたらした。
また、江戸時代末期に 15 代将軍徳川慶喜の名代として弟昭武がヨーロッパ(パリ万博)に派遣され、その後明治時代に「戸定邸」に移り住みついていた。そして、暮らしにおいてヨーロッパ文化を取り入れ、食生活をはじめとする多くのことを体験し、特に当時にしては大変珍しい写真撮影をして記録に残してきたことは、歴然とした事実として「松戸」と徳川家の深い縁が結ばれている。
以上のような経緯からしても首肯されようが、「松戸」と徳川家の深い縁については、「戸定歴史館」の研究・史料収集などの実績によって明らかにされている。「松戸宿坂川河津桜まつり」や、同時に開催されている「矢切ねぎ祭り」、コスプレイベント「河津桜フェス」、戸定が丘歴史公園の梅の木、戸定さくら雛などの催しがあり、「松戸宿献灯まつり」を含めて松戸宿や坂川に関連する行事、イベントは実行されているものの、残念なことに、例えば「松戸徳川家まつり」や「松戸市民と徳川家との集い」などの、「松戸と徳川家の縁」、直接的な関連イベントや祭りが見当たらないように思われる。
ただ、ホームページ上には松戸地域の歴史を見つめ、文化の創成とまちづくりに貢献することを目的とする「戸定企画」が徳川昭武氏の直系、松戸徳川家の三代目徳川文武氏によって主宰されている。それは新時代のまちづくりをプロデュースするプロフェッショナルチームで構成され、地域の文化、教育、産業、まちづくりをプロデュースするとされている。専門家の方々がメンバーとされているが、市民のみなさんとのコラボレーション企画として具体的な事業展開はどのようになされていのか読み取れない状況にあるように思われる。
徳川家関係の方が地域振興にかかわる素晴らしい目的に基づくだけに進捗状況も気になるし、早目の具体化を期待している。
戸定邸は小高い台地上にあり、千葉大学園芸学部と隣接している。紅葉の美しい秋季には、通用門の開放も行われている。この場所的な位置にあることを踏まえ、園芸学部のもつ植物・園芸の専門性を活かす方策や取り組みを編み出していくことは実現可能な視点にならないだろうか。特に、松戸駅東口側相模台の再開発事業に関連させ、戸定邸と相模台地区、坂川沿い、江戸川提までの道路沿いの植栽、園芸などを配置・工夫することも考えたい。
さらに、宿場町の河岸付近における人のにぎわいを再現したい。人と人の交流を通して「徳川家と松戸市民の集い」に位置づける水辺の「舟まつり」や「海産物フェア」「魚のつかみ取り」などのようなイベントを含めて、通年を見通しながら行事の位置づけを関係団体との連携・相談を交えて多種多様な企画がなされることを期待したいが、如何だろうか。