「ライフスタイル」と松戸の縁―ドイツの森と「開かれた森」―

その4<石橋のメール取材> ドイツの森とボランティアの森(紙敷)
前回に引き続き『寄稿「東松戸の魅力~スローライフのすすめ~」を読んで思うこと』(「ライフスタイル」と松戸の縁 ―魅力探しの事例― - 松縁会)についてメールで取材させていただきます。
ドイツの森と紙敷の森について次の伺う項目のなかで、主な特徴的なポイントをお答えいただけるとありがたいです。
<ドイツの森について>
・よく足を運ばれたのはハンブルクの森でしょうか? どのようなところで、どのような特徴でしたか?
・森の写真がありましたら、ご紹介ください。
・自由に森に入れるルールができるようになっていた訳をどのように受け止めていましたか?
・ドイツでは森ボランティアは行われていましたか?
・印象に残っている森での事柄はどのようなことでしたか?
・ノルディックウォーキングはグループでしたか、単独でしたか?
・ノルディックウォーキングを含めてドイツの人びとはどのように森活用をしていることが多いですか?
・ドイツでは日常生活で森に親しむ「ライフスタイル」を好んでいる人びとの割合についてどう受け止めていますか?
<紙敷の森について>
・松戸に住み始めて住宅地と近くにある山林・森を見つけた時にドイツの森と比べて広さや樹々の種類、管理状況など印象はいかがでしたか?
・ドイツの森と比べて、松戸の森ボランティアの様子について相異がありますか?
・近隣の人びとが森のあることをどのように受け止めていると藤田さんは感じていますか? 感想をお聞かせください。ドイツの人びととの相異はありますか?
・ドイツの森と紙敷の森では、存続や管理者の世代つなぎなどの様相に、その相異はありますか?
*その他、自由な視点で森について、考え、感想などをお書きいただけるとありがたいです。
その5 <藤田さんのメール回答> スケールの異なるドイツの森
藤田史郎
<ドイツの森について>
*よく足を運ばれたのはハンブルクの森でしょうか?
はい、主にハンブルクの森ですが、エリカの花が咲く季節(9月)には、近郊にあるリューネブルガーハイデに出かけることもありました。森の特徴は幅広い林道が整備されていて、広葉樹や針葉樹がバランスよく生えていて小川や池もあり、春には池では子供たちとオタマジャクシやカエルを捕まえるなど自然を満喫できました。森の近くには乗馬スクールがあるので、森の中には土の表面を掘り返して柔らかくした馬道もあります。
*写真は、春、秋、冬を添付しました。森の中と散歩道です。


*自由に森に入れるルールをどのように受け止めていたかとの問いですが、それが当たり前だったので、何も考えずそのように受け止めていました。
*ドイツでは森ボランティアは聞いたことがありません。森を守り整備するのはFörster (フョルスター森林官Forester英語)の役割ですので素人の出る幕ではありません。
*印象に残っている森での事柄では、何よりも留学時のことを想い起こしています。
ベルリンに留学した当時(1969年)はベルリンの壁ができてからまだ7年しか経っておらず、東西冷戦の真っ只中でした。ベルリンは戦後東西に分割され、東はソ連軍、西は米・英・仏の連合軍が駐留し緊張関係が続いておりました。
そんなある日、多分音楽大学が閉まっていたからだと思いますが、ベルリン南西部にあるグルーネヴァルトという大きな森にホルンを引っ提げて練習に行ったことがあります。林道から少し入ったところで、適当な切り株を見つけて練習を始めました。暫くして何やら林道から大きな音が聞こえてきました。トラクターでも来るのかなと思って見ていたら、なんと大きな戦車が数台走り過ぎていくではありませんか!これにはびっくりしましたね。当時はこの森の奥で連合軍が戦車の走行訓練をやっていたというわけです。
1990年の東西ドイツ統一後は、この森はベルリン市民のいこいの森としてサイクリングやピクニック、乗馬などで賑わっています。ちなみに大きさは千代田区と新宿区を合わせたくらいで、近くには東西を分けたハーフェル川や湖もあります。
*ハンブルクで一番気に入っていた余暇の過ごし方は森を散策することや、寄稿にも書きましたがアルスター川沿いのウォーキングやその川でのカヤックやカヌーでの水遊びでした。

*ノルディックウォーキングは講習を受けた後は単独が多かったです。
*ドイツ人の森の活用法?
一般にドイツ人は新鮮な空気と自然を好みます。ドイツ語で ”新鮮な空気” を „Frische Luft"と言いますが、このドイツ人の "フリッシェ・ルフト好き“ は我々から見ると病的なほどで極寒の冬でも寝室の窓は斜めに開けておく人(知人)もいます。それに何しろ散歩が好きです。どんなに寒くてもきちんと防寒具を着て1時間以上外を歩きます。森に親しむライフスタイルを好む割合は7、8割はいるのではないでしょうか。私の周りはみんなそうでした。兎に角ドイツ人は神話の時代から森が好きです。

<紙敷の森について>
*松戸に住み始めて〜ドイツの森と比べて広さや樹々の種類・管理状況などの印象はいかがとのお尋ねですが、前述のように環境もスケールも違いすぎて比べようがありません。

*ドイツの森と松戸のボランティアの様子との相違も比べられません。

ただ、松戸の森には ゴミの大量不法投棄で困っている森がいくつもあると聞いていますが、ドイツの森で不法投棄されたゴミを見たことがありません。これはドイツ人の倫理観が高いからというより行政のゴミ処理政策が徹底しているからだと思います。
*近隣の人々が森のあることをどのように受け止めているかとのお尋ねですが、皆さんあまりご存知ないようです。
松戸里やま応援団に所属してからは毎年のオープンフォレストの時期には拙宅の垣根に横幅90cm縦60cmのボードを吊り下げて野うさぎの森の写真や、ポスターを貼り付け、チラシも持っていけるようにして宣伝をしています。お陰で3年ほど前からは自治会が毎年開催している“夏休みこども教室”の最終日近くに、グリスロと数台の車に分乗して森に遊びにきてくれることが恒例となりました。
ただ、ドイツと違い日本の森は民有林なので活動日でないと入れないことがネックとなっています。ですので、これはまだ私個人のアイディアですが、月1回ある日曜日の活動日は森の公開日と決めて近隣のご家族や自然と触れ合いたい方々に解放することができればいいなと思ったりしております。
その6<石橋の補説> ドイツの森から得た「開かれた森」
藤田史郎さんは、これまでに海外在住と日本の生活がほぼ半々の暮らし方をされています。その「ライフスタイル」は、近年でもお孫さん一家の過ごすアメリカとの行き来をする同様の暮らし向きです。
(注:本稿では外国との生活に限らず、国内の2拠点生活や“日常と非日常”の過ごし方なども同種「ライフスタイル」の一つと理解しています)。
まず、北ドイツの森についてのあらましとそこの暮らし方
ハンブルク周辺は最終氷期の氷河が後退した後に形成された平坦地と緩やかな丘陵地形が広がります。そこに形成された森は海近くの地形・気候・植生の三つが強く結びついた「海洋性の落葉広葉樹林帯」として特徴づけられるとされています。ハンブルクは北緯54度線付近でかなり北の方にあります。
ヨーロッパの中でもハンブルクの森は、緯度を比べると北海道北端よりも北に位置しています。それでもハンブルクは西方にある北海へ流れる北大西洋海流(暖流)の影響で1月平均気温が0℃以上あると言われます。ちなみに北海道稚内市は平均約−4℃とされています。
藤田さんの回答には、「一般にドイツ人は新鮮な空気と自然を好みます」とあります。「何しろ散歩が好きです。どんなに寒くてもきちんと防寒具を着て1時間以上外を歩きます。森に親しむライフスタイルを好む割合は7、8割はいるのではないでしょうか。」という印象も持たれています。
ご一家の皆さんも、ハンブルクの森を日常生活の場として過ごされてきたことが写真からでもわかります。お子さんたちがのびのびと整備された道や広々とした場などで自由に遊ぶ情景が想像されます。森の活用法が藤田さんの他の説明でも挙げられています。家族の皆さん個々に応じたライフステージの各時期に、おそらく「森」に親しむ暮らし方が自ずと身に付いていくことも理解できます。
次に、音楽留学時の森についての体験エピソードについて
音楽生にとって近くに森の広い空間があるならば絶好の練習場と思いつくことは容易と思われます。
ところが、音楽生が森の中でホルンの音を奏でる練習をしている際、少しずつ大きくなって聞こえてきた轟音の響き。当時、その状況を「トラクターの音」と受け止めた、と想い起こした藤田さん。
「まさか、それが戦車数台の走行訓練の実音とは!」。当時、ベルリンは東西冷戦の最前線。このことを決して忘れていたはずはありません。広大な森の空間や楽器練習の場に、異様な戦闘用車両と遭遇した状況に驚かざるを得なかったと、述懐される藤田さん。
今や、その森は、何と「千代田区と新宿区を合わせたくらい」大きいスケールでベルリン市民のいこいの森として利用されていると言います。ドイツのきびしい歴史の変化と広大な土地利用の様相を感じさせる、エピソードとして語り継がれる現実です。
三つめは「ドイツの森林法」の森管理・利用と紙敷の森について
藤田さんの説明にあります「ドイツ連邦森林法」は、調べてみると1975年に森林の持続可能な管理を確保するため制定されています。それ以前は、州ごとに領有されていた森林、私有林などバラバラのルールであったと伝えられています。そのため、どこの森林所有者にも同じように管理をするよう枠組みとしての法を定めたと解説されています。
その運用は、州法を通じて具体的に行われているとされています。要点として森林転用は原則禁止、例外的な許可制の適用で、自然保護や公益性の観点から厳格な管理・運用。森林管理計画や認証制度を通じた、持続可能な森林経営の実践とあります(『Copilot Search』)。
特に、注目したい条文があります。森林法第14条では、森林の立ち入り について
(1) 何人もレクリエーションの目的のために森林に立ち入ることが許される。サイクリング、療養用車椅子による走行及び森林内の乗馬は、車道及びその サイクリング、療養用車椅子による走行及び森林内の乗馬は、車道及びその他の道路上に限り許される。森林の立ち入りは、自らの危険負担の下に行われる。
(2) 詳細については、各州がこれを規定する。 -以下略-
と定めています。(ドイツの森林法と助成措置『財団法人国際緑化推進センター』)
日本の森林法やその他法律では、森林の立ち入りについてはドイツのように認められていません。国の所有する国有林には自由に立ち入ることのできる公園はあります。それ以外の民有林は、松戸市紙敷の森で何度か触れてきましたように私有地のため宅地と同様の扱いとされています。
そのため、藤田さんはドイツでの森への立ち入りが自由で「当たり前だったので、何も考えず」利用していたと回答しています。そのうえ、「ドイツでは森ボランティアは聞いたことがありません。森を守り整備するのはFörster (フョルスター森林官Forester英語)の役割ですので素人の出る幕ではありません」と述べています。ドイツの森と紙敷の森とでは、「環境もスケールも違いすぎて比べようがありません」と専門的な人びとによって持続可能な整備がなされていることについても触れています。
他方、日本列島は約70%弱が急峻な山林におおわれていると言われています。しかも大きく時と空間をとらえると、時代の変化とともに山間縁辺部・低地に人びとの居住が集落化・都市化してきました。
台地と低地の特徴を持つ松戸付近では、先史の時代から人びとの遺跡が確認されています。古代以降においては台地・原野で主として放牧の利用がなされ、縁辺部に集落が形成されてきました。江戸・東京の大都市近郊地では、江戸期の新田開発もあり原野・雑木林において放牧や薪・燃料供給地・畑など土地の有効利用が進みました。
河原塚南山地区の開発によって宅地化される以前に私有林となっていたところは、おそらく里山の手入れが行われていたか、放置林かのいずれかであったと推測されます。
以上のように解釈すると、紙敷などの森に地権者以外一般の人びとが自由に入ることなどはなじみのない暮らしぶりであったと言えるのではないでしょうか。したがって、ドイツの森と紙敷の森について藤田さんの、「比べようがありません」の一言に尽きる、と納得しています。
とにかく藤田さんにとっては、スケールの異なる北ドイツ平原の特徴的な森林景観とともに、ドイツの日常生活を定着させてきたことがよくわかりました。
森林景観の広がるハンブルクの海外生活から松戸市紙敷に第三のライフステージを移された藤田さん。
「森林景観と歩むライフスタイル」が紙敷の森や「野うさぎの森」を引き寄せてくれたような松戸の「台地と低地の都市景観」とマッチしていたと言えるのではないでしょうか。
具体的にはご本人の趣味「ノルディックウォーキング」の実践と森へのあこがれからの活動仲間入りです。森のボランティア活動をする中で仲間の皆さんと共有する「開かれた森」に気付かれました。そして着実な作業をしながら「広報担当」という自らの役割を担ってこられました。
藤田さんは、「松戸里やま応援団」の主催するオープンフォレスト行事には積極的に自宅の垣根に「ボードを吊り下げて野うさぎの森の写真や、ポスターを貼り付け、チラシも持っていけるようにして宣伝をしています。」と述べられています。少しでも地域住民の方々に「森の魅力」を知ってもらい、活用される「開かれた森」を推進されています。
そのような藤田さんの前向きに取り組む姿勢が、「ノルディックウォーキング」仲間をはじめとする周囲の皆さんに知れ渡ってきたと想像されます。ドイツでの海外生活者、元音楽家、お人柄などの接点です。これらが皆さんの心の琴線に触れられたのだと理解します。そして、地元の地域で盛んな様々なボランティア活動への動きとなって受け入れられ、人のつながりを広められてきたと推測されます。
次回には、「野うさぎの森」でのボランティア活動をはじめとする様々な地域活動で活躍される藤田さんの「スローライフ(?)とエンディングの高まり」(仮称)をテーマにして準備したいと考えています。
<石橋>

